4月24日 Vol.2被災地の報告

つづきです。 大浦漁村センターでの活動は、私達にとって全く初めての事で、正直、「てさぐり」なところも有りましたが、それでも最後は、記念撮影をしたり、深々とお礼をされたり、更に子供達は、外へ出て来てくれたり、なんだか「ホッと」しました。 $cafe tsukikoya-CA3A0487.JPG 「よし次行くぞ!」 と気合いを入れ、あても無く次の避難所を探します。 実は、この頃、tsukikoyaの物資を積んだトラック部隊は、別行動をしながら、物資の行き届いていない孤立地域を探し、そこで物資を届けていました。 私にメールが届きました。 「物資が全て無くなりました。まだどこかに物資は余っていますか?田の浜の民家の人達がヤバいです。」 突然のメッセージに、私達は驚き、まさか震災後40日が経ち、世間では物資が余って置き場が無い、と言われている現在・・・ まだ、そんな所があるのかと、緊張が走りながら、「田の浜」地区を目指しました。 $cafe tsukikoya $cafe tsukikoya $cafe tsukikoya 辺り一面は、全くの手つかず・・・・ 実は、ここは先程、珈琲の炊き出しをしていた「大浦」地区の隣町なのです。 なぜ? と言う疑問を持ちながら、辺り一面を観察していると、津波の跡は海に近ければ近い程低くて、早く。山の近くになればなるほど高さを増し、乱れていた事が解りました。更に、火事の跡、風向きや津波と入り交じりながらの災害現場の生ヶしさが、手に取る様に解る地域でした。 本来は、漁師町 $cafe tsukikoya 崩れた防波堤の頂上に置いてある釣り針は、大きくてしっかりしてました。 田の浜の被災者の方とお話をしました。 震災後、どこに向うのか解らないまま、津波と火事に追われ、子供達と共に、ひたすら山の中へと逃げたそうです。 やっとたどり着いた避難所。 飲まず食わずで数日が過ぎ、そして自宅に戻りました。自宅は崩壊していませんでした。 喜びもつかの間、自宅が無事の為、被災者として扱われず、物資は、ほとんど分けてもらえずに、避難所では肩身が狭く、結局、自宅に戻る事になったそうです。そういった方が田の浜地区には200人を超える程いて、震災後未だにまともな物資が届いておりません。 そして、漁師町だったが故に漁にでない限り仕事は無く、港の片付けに追われてお金が稼げないと言う状態に有り、家では、子供と旦那さんと近所の避難者とプライベートの無い生活が続いています。 200人を超える被災者の物資争奪戦の後、「もう無いの?」と何度も聞いてくる方もいました。 最後に少し写真を撮りました。 $cafe tsukikoya $cafe tsukikoya (写真は、だいぶ落ち着いて来た頃です。) そして、残された方とお話をして、後から買い足した食料物資を渡し、田の浜をあとにしました。 その日の夜は、整理がつかない頭の中と、とても奇麗な三陸の月夜に、複雑な気持ちになりつつ、皆でお湯を沸かしてカップラーメンを食べました。 一組は、車で、一組はトラックの荷台で、一組はテントで、就寝です。 $cafe tsukikoya つづく

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